2024年 03月 23日
再掲載:「生きる」と「活きる」
私は生きています。
食べて寝て、遊んで働いて。
私は今、生きています。
……けれど。
私は活きたいのです。
この世界を生き生きと、
私は活きてみたいのです。
それとも。
誰かの庇護のもとで何とか生きている私に、
それは大それた望みというものなのでしょうか?
※タイトルならびに本文内容は、2020年1月3日に掲載したものです。
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by m-kumatta
| 2024-03-23 11:31
| 過去もの
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2024年 03月 16日
きっと、きっと。
いつか自分を知るために、
わかり合えずにいるヒトがいる。
きっと、きっと。
いつか自分を認めるために、
認められずにいるコトがある。
きっと、きっと、きっと。
いつか自分を愛するために、
愛さずにはいられないモノがある。
きっと、きっと、きっと、きっと。
いつか自分を赦すために、
赦したいと願わずにはいられないセカイがある。
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by m-kumatta
| 2024-03-16 08:57
| つぶやき
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2024年 02月 25日
再掲載:たとえ、どこにもたどり着かなくても。
私は矛盾していると、
あなたはそう言うけれど。
どちらかを選ぶことなんて、
私にはできないんだ。
それならいったいどうするのって、
あなたはそう言うけれど。
どうしたらいいのかなんて、
そんなこと私にもわからないんだ。
それでも私はわかっている。
どちらが欠けてしまっても、
私が私じゃいられなくなるということを。
どちらも大事ということが、
私にとっては何より大事なんだってことを。
私はちゃんとわかっているんだ。
※タイトルならびに本文内容は、2019年12月31日に掲載したものです。
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by m-kumatta
| 2024-02-25 10:00
| 過去もの
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2024年 02月 12日
再掲載:たとえば今日が祝いの日でも。
たとえば今日が。
喜び溢れる祝いの日でも、
深い悲しみに沈む人はいるのだろう。
たとえば今日が。
悲しみに満ちた悲痛な日でも、
大いなる喜びに浸る人はいるのだろう。
だからと言って。
どうしてそれを、
私たちは責めることができようか。
歓喜の真横に失望が影を落とし、
悲劇の裏側で喜劇が進行する。
それを、世界だと言うのなら。
それを、人生だと言うのなら。
歓喜の最中でも、
失望の人々に想いを寄せられること。
悲劇の最中にも、
喜劇の存在に希望を見いだせること。
それこそが神様が私たちに与えてくれた、
最良の贈り物だと思うんだ。
※タイトルならびに本文内容は、2019年12月24日に掲載したものです。
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by m-kumatta
| 2024-02-12 09:03
| 過去もの
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2024年 02月 05日
物語を彩るのは。
誰もが一度は願ったことがあるんじゃないかな。
想像するだけで、とっても気持ちがせいせいするね。
だけどわかっているとは思うけど、
そんな気分は恐らく長くは続かない。
君にだって好きな物語のひとつもあるだろうから、
きっとわかると思うんだ。
嫌いなあいつが消えてしまった物語を、
君はたぶん愛せない。
あいつがいたから物語が輝いていたんだってこと、
君はすぐに気がつくんだ。
それなのに。
あんなやつは消えてなくなってしまえばいい。
君が望んでいるのはたぶんいつもそういうことで。
果たしてその通りになったところで、
君はその人生を本当に幸せだったと思えるのだろうか。
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by m-kumatta
| 2024-02-05 21:52
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