2024年 03月 16日
きっと、きっと。
いつか自分を知るために、
わかり合えずにいるヒトがいる。
きっと、きっと。
いつか自分を認めるために、
認められずにいるコトがある。
きっと、きっと、きっと。
いつか自分を愛するために、
愛さずにはいられないモノがある。
きっと、きっと、きっと、きっと。
いつか自分を赦すために、
赦したいと願わずにはいられないセカイがある。
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by m-kumatta
| 2024-03-16 08:57
| つぶやき
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2024年 02月 25日
再掲載:たとえ、どこにもたどり着かなくても。
私は矛盾していると、
あなたはそう言うけれど。
どちらかを選ぶことなんて、
私にはできないんだ。
それならいったいどうするのって、
あなたはそう言うけれど。
どうしたらいいのかなんて、
そんなこと私にもわからないんだ。
それでも私はわかっている。
どちらが欠けてしまっても、
私が私じゃいられなくなるということを。
どちらも大事ということが、
私にとっては何より大事なんだってことを。
私はちゃんとわかっているんだ。
※タイトルならびに本文内容は、2019年12月31日に掲載したものです。
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by m-kumatta
| 2024-02-25 10:00
| 過去もの
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2024年 02月 12日
再掲載:たとえば今日が祝いの日でも。
たとえば今日が。
喜び溢れる祝いの日でも、
深い悲しみに沈む人はいるのだろう。
たとえば今日が。
悲しみに満ちた悲痛な日でも、
大いなる喜びに浸る人はいるのだろう。
だからと言って。
どうしてそれを、
私たちは責めることができようか。
歓喜の真横に失望が影を落とし、
悲劇の裏側で喜劇が進行する。
それを、世界だと言うのなら。
それを、人生だと言うのなら。
歓喜の最中でも、
失望の人々に想いを寄せられること。
悲劇の最中にも、
喜劇の存在に希望を見いだせること。
それこそが神様が私たちに与えてくれた、
最良の贈り物だと思うんだ。
※タイトルならびに本文内容は、2019年12月24日に掲載したものです。
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by m-kumatta
| 2024-02-12 09:03
| 過去もの
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2024年 02月 05日
物語を彩るのは。
誰もが一度は願ったことがあるんじゃないかな。
想像するだけで、とっても気持ちがせいせいするね。
だけどわかっているとは思うけど、
そんな気分は恐らく長くは続かない。
君にだって好きな物語のひとつもあるだろうから、
きっとわかると思うんだ。
嫌いなあいつが消えてしまった物語を、
君はたぶん愛せない。
あいつがいたから物語が輝いていたんだってこと、
君はすぐに気がつくんだ。
それなのに。
あんなやつは消えてなくなってしまえばいい。
君が望んでいるのはたぶんいつもそういうことで。
果たしてその通りになったところで、
君はその人生を本当に幸せだったと思えるのだろうか。
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by m-kumatta
| 2024-02-05 21:52
| つぶやき
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2024年 01月 24日
再掲載:それが自分の首を絞めていると、私にもわかってはいるのですが。
もしもこの世界に。
絵に描いたような、
幸せというものがあるのなら。
絵にはとてもならないような、
幸せを探してみたくなる私は。
やはりひねくれが過ぎているのでしょうか?
※タイトルならびに本文内容は、2019年12月22日に掲載したものです。
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by m-kumatta
| 2024-01-24 20:15
| 過去もの
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