再掲載:理解すること。響き合うこと。

※今回は長文になります。お時間のある際に読んでもらえると幸いです。

 尚、本文は2015年5月に書いたものです。

 当時、私はこんなことを考えてたみたいです。


~理解すること。響き合うこと。~

・私たちは『相手を理解する』ことができれば、平和が訪れる。 そう信じている。


・果たしてそれは本当だろうか?


・『相手を理解する』ことを定義すると。

『自身の知識や経験に照らし、相手の行為や在り方を“私”が納得できる形で把握する』

ということになるだろう。


・ということは。

『理解』がその人の持つ常識や解釈の範囲内を逸脱することは、

決してありえないということになる。

仮に逸脱してしまえば、それは『理解ができない』ということになる。


・要するに『相手を理解する』とは、一見相手を思いやっているようにみえて、

 その実、相手を自身の枠内に当てはめてしまおうという、

 ある意味、自己都合から生じている行為なのだ。


・相手を『理解』によって定義できれば、何かあっても対処ができるし、

 場合によっては、相手をコントロールすることもできる。

そうすれば私は不用意に傷つかずに済む。


・そう。『相手を理解したい』という欲求の本質は自己防衛に他ならないのだ。


・その証拠に。 人は理解できないものを異常に嫌悪する。

 なぜなら未知のものは、私の安全を脅かす可能性がかなり高いと感じられるからである。


・さて。

 そんな自己防衛から発される、

『相手を理解しようとする』行為が、本当に平和をもたらすだろうか?


・場合によっては。

 お互いがお互いに『理解』というレッテルを貼り付け合い、

 それ以上は深入りをしないという、いわゆる冷戦状態のような、

消極的な平和が達成されることはあるかもしれない。


・しかしながら、こうした消極的平和状態は、

 お互いの許容範囲(解釈可能な範囲)に依存しているという性質上、

状況が変わって、どちらかが相手を『理解不能』と判断した途端、

あっという間に機能不全に陥ってしまうという危険性をはらんでいる。


・そう。『理解』に根差した対象の容認は、

何らかのきっかけで容易に『理解不能』という嫌悪に転じてしまうのである。


・『平和を達成するため』に用いた、『相手とわかり合おう』とする行為が、

結果的に『憎しみ』という平和とは真逆のものを連れてきている……

 まずはこの矛盾にはっきりと気づかねばならない。


・では平和を達成するために。 私たちには、なすすべがないのか?

 

・いや。 私の、あなたの、そして世界の平和を達成するために。

 あなたにはとても大きな使命がある。


・あなたに課されたとてもとても大きな使命。

それは『共に響き合う』ということである。


・『響き合うこと』

それは『理解すること』といったい何が違うのか?


・『理解する』というのは。

前述の通り、相手を自身の枠内に押し込める行為である。


・よって、お互いが『理解し、わかり合う』ためには。

 多少なりとも双方の特性を『殺し合う』ことが必要だ。

 いわゆる譲り合い、擦り合わせ、調整といったものである。


・一方で。

『響き合う』のは、双方の特性を『生かし合う』ことに他ならない。


・お互いに物足りない所は補い、良い所はさらに増幅し、そうやって貢献し合う。

『響き合い』の本質はその相乗効果にある。


・大切なのは、『私はあなたに勝ってはいけないし、負けてもいけない』ということ。

 そこに、共鳴の鍵はある。


・音楽に例えるなら。

 あなたと私の関わり合いは、デュエット・アンサンブルである。


・より良いアンサンブルを奏でるためには。

 お互いが自らのパート(受け持ち)をまっとうすることが絶対条件である。


・そうすることで共鳴が起こり、

それぞれが単独では成しえなかった音楽が創造される。


・『理解し合う』ことが、二つの音を調整して、一つの音にまとめようとすることなら、

『響き合う』ことは、二つの音を重ねて、新たな音楽を創りだすことを目指すものだ。

 

・よって、『響き合い』の世界では。

 相手を高圧的に抑えつけてはいけないのと同様に、

 相手ばかりを立てる『自己犠牲』も絶対にしてはいけないのである。


・なぜなら。

 あなたが自らを表現しないことは、アンサンブルの崩壊を招き、

 自分の音はおろか、相手の音まで『殺してしまう』ことになるからである。

 あなたが犯した『表現の放棄』はもはや『自己責任』の範疇に留まらないのだ。


・これは考えようによっては、『理解し合う』ことよりもはるかに高い壁である。


・ただ、もしもあなたがその高い壁を乗り越えることができたなら。

 

・その時には『あなたの理解をはるかに超えた』展開が巻き起こることは間違いない。


・あなたと私。 それぞれがパートをまっとうしアンサンブルを形成する。

 これだけでも素晴らしい『響き』だが、その音楽はそこだけに留まらない。


・あなたと私が共鳴して創り上げた音楽が、

 今度はより大きなコミュニティで演奏される音楽のパートとなるのである。


・そうやってあなたから始まった音は重層的に重なり合い、

やがて『世界』という壮大な協奏曲を形成する。


・だから。

あなたに課された使命はとても大きく、その責任は重大だ。


・だが、心配しなくていい。

 あなたがすべきことはとてもシンプルだ。


・あなたがすべきこと。

 それは、目の前の物・事・人と『共に響き合おう』と意図して、

 世界を恐れず、自身が持つ音を『表現する』、ほんの少しの勇気を持つこと。

 ただそれだけだ。


・あとはそれこそ『自動的』に。

世界というオーケストラの素晴らしい演奏が展開されることになる。


・そしてあなたはそれを存分に味わい、楽しむだろう。


・さあ、世界と共に。 

響き合おう。



※例えば。理解できるもの、理解できる人、としか繋がることができないのなら。
 それは、とてももったいないことではないでしょうか。
 
 考えてみれば、子供の頃は自分とは趣味や嗜好、考え方が違う人たちが身近にいることが当たり前で。
 それによる衝突もたくさんあったりするのだけれど、それを通して自らの世界がとても大きく広がっていく。
 そんなことも多々ありました。

 それが大人になって、とにかく周囲と上手くやっていこうという想いが強くなるにつれ、
 いつの間にか自らの理解の範囲内でしか社会と、人と、繋がることができなくなってきて……。

 だけど私たちは。共に響き合うことを意識することで、あの子供の頃のような雑多だけれど、とてもワクワクするような。
 理解できないからこそ、より深く繋がれるような。あの感覚に立ち戻ることができるのではないか?
 私はそんな風に思うのです。

 そして2018年の今。
 私はあの頃よりも、世界と響き合うことが果たしてできているだろうか?
 改めてそんなことを思うのです。

 広間空

[PR]
Commented by 石畳のん♪ at 2018-12-02 19:51 x
『理解し合う』のではなく『響き合う』
子供の頃に戻って・・・ワクワクしますね。
箇条書や音楽での例えで、理解力が落ちた私にも
とても響いてきました!只、自分と価値観の近い人を
ブログでも探し続けてる私にとっては、中々勇気のいる
ことだとも思いました。まずは少し遠くから様子見かな??
Commented by chiwari-yuki-y2 at 2018-12-03 08:19
「赤」「青」と一言で言っても、実は色々ですよね。
「赤だから赤なんだから」と言ってるその赤が、
相手の思う赤と違っていることもある…
理解だけにこだわったら、この場合、永遠に平行線ですね。
違いを面白がれたらいいですね。
そもそも「わたし」は唯一無二で、誰かと重なることはないので、
だれもが違うんですもの、違うことを楽しまなきゃね♪
そうしたら、みんなで演奏できるかな^^
Commented at 2018-12-03 23:00
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by m-kumatta at 2018-12-04 03:34
石畳のん♪さん、こんばんは(^O^)
長文にも関わらず、お読みいただきありがとうございました。
確かにそうですよね。
難しそうだけど簡単な、単純そうだけど複雑な……それが『響き合い』の世界だと私も思います。
上手く言えなくて申し訳ないのですが……。
お互いのことよくわからないけど、わからないのになぜか心地がいい……そんな感覚を抱いた経験が誰にでもあると思うのです。
それが『響き合い』ですと言ったら、単純化しすぎかな? でも私がイメージしているのは、そんな感じです(^-^;

のん♪さんのブログも拝見させていただきました。
謙虚さについてのお話、とても共感です(*^^*)
Commented by m-kumatta at 2018-12-04 03:41
chiwari-yuki-y2さん、こんばんは(^O^)
そうそう、そうなんですよ(^^♪
私とあなたの赤は同じとは限らないんです。
とてもわかりやすい例えをありがとうございます!
そうですよね。違いを尊重し合って、その特徴を生かしながら、みんなで一つの演奏ができたなら……それを想像するだけでとてもワクワクしますね♪

すごく素敵なコメントをどうもありがとうございました(*^^*)
Commented by m-kumatta at 2018-12-04 03:46
鍵コメさん、こんばんは(^O^)
こちらこそ、いつもありがとうございます(*^^*)
ご連絡いただいた件、了解致しました。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
Commented by taekamede at 2018-12-04 12:52
目には見えな霧のようなものを捕まえようと両手を伸ばしてみるんですが、沢山捕まえたと思って中を見ても微かな煙と共に消えちゃうんです。('ω')ノ
Commented by m-kumatta at 2018-12-05 09:52
taekaさん、おはようございます(^O^)
そうですね。理解するとはまさにそのようなことかもしれません。
その人を捕えた(理解した)と思っても、いつの間にかその手応えはどこかへ行ってしまうものです。
なぜなら私たちはお互いに常に変化していくので、厳密には理解という箱には決して押し込めないのだと思います(*^^*)
Commented by sutekinakurashi7 at 2018-12-06 09:01
こんにちは。
読ませて頂いてから、心の隅でいつも考えていました。
理解しようとすることと理解できないことは、背中合わせなんですね┄。

理解しようとして、理解できずに捨てしまった いくつかの人間関係。
響き合えたら、手放さなくて済んだのかも。
   HIGA
Commented by m-kumatta at 2018-12-07 00:02
HIGAさん、こんばんは(^O^)
なんか、すごく嬉しいです(#^.^#)
読んでいただけるだけでも幸せなのに、
そんな風に自分に置き換えて考えていただけるなんて(*´▽`*)
本当にありがとうございます。

そして、そうですね。
私もまたいくつもの人間関係を手放してきた、後悔だらけの人生です。
それでも私は一方でこうも思うのです。
私たちはそれでもなお、繋がっている。
言葉を交わすことは、視線を交わすことは、もうないのかもしれないけれど。
それでも私たちは繋がっていて、それを可能にしてくれるのが響き合いの世界なのだと、私はそんな風に考えています。
by m-kumatta | 2018-12-02 17:54 | 過去もの | Comments(10)