もっと楽にしたらいいのに。

もっと自由に生きたらいいのに。


あなたは信念があるから生きられると言うけれど、
それはきっとあなたがそれしか知らないから。

強い信念はあなたの生を支えてくれてるように見えるけど、
強くて固いものほど実は折れやすかったりするんだよ。

本当に折れない心というのは、
あなたが思うよりずっとしなやかで柔軟なものなんだ。


って、そんなふうに私に思わせてくれるのは、あなた。

あなたがここにいてくれるから、
私はまたひとつ私の思いを知ることができるのです。



※タイトルならびに本文内容は、2017年8月9日に掲載したものです。

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by m-kumatta | 2018-12-12 19:15 | 過去もの | Comments(0)

※今回は長文になります。お時間のある際に読んでもらえると幸いです。

 尚、本文は2015年5月に書いたものです。

 当時、私はこんなことを考えてたみたいです。


~理解すること。響き合うこと。~

・私たちは『相手を理解する』ことができれば、平和が訪れる。 そう信じている。


・果たしてそれは本当だろうか?


・『相手を理解する』ことを定義すると。

『自身の知識や経験に照らし、相手の行為や在り方を“私”が納得できる形で把握する』

ということになるだろう。


・ということは。

『理解』がその人の持つ常識や解釈の範囲内を逸脱することは、

決してありえないということになる。

仮に逸脱してしまえば、それは『理解ができない』ということになる。


・要するに『相手を理解する』とは、一見相手を思いやっているようにみえて、

 その実、相手を自身の枠内に当てはめてしまおうという、

 ある意味、自己都合から生じている行為なのだ。


・相手を『理解』によって定義できれば、何かあっても対処ができるし、

 場合によっては、相手をコントロールすることもできる。

そうすれば私は不用意に傷つかずに済む。


・そう。『相手を理解したい』という欲求の本質は自己防衛に他ならないのだ。


・その証拠に。 人は理解できないものを異常に嫌悪する。

 なぜなら未知のものは、私の安全を脅かす可能性がかなり高いと感じられるからである。


・さて。

 そんな自己防衛から発される、

『相手を理解しようとする』行為が、本当に平和をもたらすだろうか?


・場合によっては。

 お互いがお互いに『理解』というレッテルを貼り付け合い、

 それ以上は深入りをしないという、いわゆる冷戦状態のような、

消極的な平和が達成されることはあるかもしれない。


・しかしながら、こうした消極的平和状態は、

 お互いの許容範囲(解釈可能な範囲)に依存しているという性質上、

状況が変わって、どちらかが相手を『理解不能』と判断した途端、

あっという間に機能不全に陥ってしまうという危険性をはらんでいる。


・そう。『理解』に根差した対象の容認は、

何らかのきっかけで容易に『理解不能』という嫌悪に転じてしまうのである。


・『平和を達成するため』に用いた、『相手とわかり合おう』とする行為が、

結果的に『憎しみ』という平和とは真逆のものを連れてきている……

 まずはこの矛盾にはっきりと気づかねばならない。


・では平和を達成するために。 私たちには、なすすべがないのか?

 

・いや。 私の、あなたの、そして世界の平和を達成するために。

 あなたにはとても大きな使命がある。


・あなたに課されたとてもとても大きな使命。

それは『共に響き合う』ということである。


・『響き合うこと』

それは『理解すること』といったい何が違うのか?


・『理解する』というのは。

前述の通り、相手を自身の枠内に押し込める行為である。


・よって、お互いが『理解し、わかり合う』ためには。

 多少なりとも双方の特性を『殺し合う』ことが必要だ。

 いわゆる譲り合い、擦り合わせ、調整といったものである。


・一方で。

『響き合う』のは、双方の特性を『生かし合う』ことに他ならない。


・お互いに物足りない所は補い、良い所はさらに増幅し、そうやって貢献し合う。

『響き合い』の本質はその相乗効果にある。


・大切なのは、『私はあなたに勝ってはいけないし、負けてもいけない』ということ。

 そこに、共鳴の鍵はある。


・音楽に例えるなら。

 あなたと私の関わり合いは、デュエット・アンサンブルである。


・より良いアンサンブルを奏でるためには。

 お互いが自らのパート(受け持ち)をまっとうすることが絶対条件である。


・そうすることで共鳴が起こり、

それぞれが単独では成しえなかった音楽が創造される。


・『理解し合う』ことが、二つの音を調整して、一つの音にまとめようとすることなら、

『響き合う』ことは、二つの音を重ねて、新たな音楽を創りだすことを目指すものだ。

 

・よって、『響き合い』の世界では。

 相手を高圧的に抑えつけてはいけないのと同様に、

 相手ばかりを立てる『自己犠牲』も絶対にしてはいけないのである。


・なぜなら。

 あなたが自らを表現しないことは、アンサンブルの崩壊を招き、

 自分の音はおろか、相手の音まで『殺してしまう』ことになるからである。

 あなたが犯した『表現の放棄』はもはや『自己責任』の範疇に留まらないのだ。


・これは考えようによっては、『理解し合う』ことよりもはるかに高い壁である。


・ただ、もしもあなたがその高い壁を乗り越えることができたなら。

 

・その時には『あなたの理解をはるかに超えた』展開が巻き起こることは間違いない。


・あなたと私。 それぞれがパートをまっとうしアンサンブルを形成する。

 これだけでも素晴らしい『響き』だが、その音楽はそこだけに留まらない。


・あなたと私が共鳴して創り上げた音楽が、

 今度はより大きなコミュニティで演奏される音楽のパートとなるのである。


・そうやってあなたから始まった音は重層的に重なり合い、

やがて『世界』という壮大な協奏曲を形成する。


・だから。

あなたに課された使命はとても大きく、その責任は重大だ。


・だが、心配しなくていい。

 あなたがすべきことはとてもシンプルだ。


・あなたがすべきこと。

 それは、目の前の物・事・人と『共に響き合おう』と意図して、

 世界を恐れず、自身が持つ音を『表現する』、ほんの少しの勇気を持つこと。

 ただそれだけだ。


・あとはそれこそ『自動的』に。

世界というオーケストラの素晴らしい演奏が展開されることになる。


・そしてあなたはそれを存分に味わい、楽しむだろう。


・さあ、世界と共に。 

響き合おう。



※例えば。理解できるもの、理解できる人、としか繋がることができないのなら。
 それは、とてももったいないことではないでしょうか。
 
 考えてみれば、子供の頃は自分とは趣味や嗜好、考え方が違う人たちが身近にいることが当たり前で。
 それによる衝突もたくさんあったりするのだけれど、それを通して自らの世界がとても大きく広がっていく。
 そんなことも多々ありました。

 それが大人になって、とにかく周囲と上手くやっていこうという想いが強くなるにつれ、
 いつの間にか自らの理解の範囲内でしか社会と、人と、繋がることができなくなってきて……。

 だけど私たちは。共に響き合うことを意識することで、あの子供の頃のような雑多だけれど、とてもワクワクするような。
 理解できないからこそ、より深く繋がれるような。あの感覚に立ち戻ることができるのではないか?
 私はそんな風に思うのです。

 そして2018年の今。
 私はあの頃よりも、世界と響き合うことが果たしてできているだろうか?
 改めてそんなことを思うのです。

 広間空

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by m-kumatta | 2018-12-02 17:54 | 過去もの | Comments(10)

誰かのために何かをして、

思ったような反応を得られなくても、

それは憤る理由にはならないんだよね。


そんな当たり前のことに、
やっと気がついたんだ。



※タイトルならびに本文内容は、2017年9月21日に掲載したものです。


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by m-kumatta | 2018-11-23 13:09 | 過去もの | Comments(4)

思い切りやってみようと思っても、

昔のことがよみがえり、

躊躇している私がいる。


今日は思い切り楽しむんだと思っても、

先のことを想像し、

楽しみきれない私がいる。


経験からおおいに学び、
結果を緻密に予測する。

学校でも職場でもとっても重宝されてきた、
私のこの能力は、

私のことを、
どうにも幸せにはできないみたいなんだ。



※タイトルならびに本文内容は、2017年9月19日に掲載したものです。


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by m-kumatta | 2018-11-13 22:00 | 過去もの | Comments(8)


本当に聴こうと思うなら、
そっと目を閉じなさい。

いつだって大切なのは、
誰が言ってるのかではなくて、

いつだって大切なのは、
何を言ってるのかなのだから。



※タイトルならびに本文内容は、2017年9月18日に掲載したものです。



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by m-kumatta | 2018-11-06 22:20 | 過去もの | Comments(6)


心の中の”ぽっかり”

”ぽっかり”はね、
埋めようとしちゃダメなんだ。

埋めようとしても、
あなたはきっと、その底なし沼に飲み込まれてしまうよ。

”ぽっかり”はね、
目を逸らしちゃダメなんだ。

見ないようにしていても、
あなたはきっと、その不気味な存在に徐々に浸食されていく。

”ぽっかり”はね、
実はそのままにして、深く味わうものなんだ。

怖いよね。
嫌だよね。

でもそれでも逃げずにとどまって、
その空虚な闇を見つめてごらん。

じっとじっと見つめていると、
あなたはある時、発見するんだ。

私たちが幸せと呼ぶものたち全てが、
”ぽっかり”の底から、生まれくるその瞬間を。

あなたはたどり着いたんだ。
あなたの”生”を支えるその源泉に、今。



※タイトルならびに本文の題材は、
『NHKドラマ10:この声をきみに』より引用させていただきました。

※タイトルならびに本文内容は、2017年9月17日に掲載したものです。


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by m-kumatta | 2018-10-29 22:27 | 過去もの | Comments(6)

名もなき自分を祝福してごらん。

名もなき自分を祝福してごらんよ。

何者でもない自分に恋をすると、ほら。

世界が少しだけ、
優しくなっていることに気づくんだ。




※タイトルならびに本文内容は、2017年9月13日に掲載したものです。



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by m-kumatta | 2018-10-19 22:33 | 過去もの | Comments(8)

世界は忙しさでできている。
誰かがそんなこと言っていたっけ?

でもこれって、
かなり的を射ているかも。

ちょっと周りを見渡せば。

社会(周囲)にうまく合わせたり、
社会(周囲)を変革するために、
誰もが奮闘し続けている。

あの人も、この人も。
大人も、子供も。
範囲の違いはあるけれど、誰もが奮闘し続けている。

あ。
もちろん私もね、例外ではないよ。
私なりにたくさん奮闘しているよ。

だって、そうしなさいって小さい頃から教わってきたからね。

親や先生や友達や、識者と呼ばれるたくさんの人達から、
それが正しい生き方だと教わってきたからね。

社会に受け入れられること。
社会に認めてもらうこと。
それこそがあなたの幸せだって。

そして、その人たちはこうも言うんだ。

あいつやこいつを見てごらん。
もしもあなたが言いつけを守らなければ、
あんな風に惨めなことになってしまうよ、てね。

そう言って、私たちを脅すんだ。

だから私たちは必死になって、自分を、時には世界を変えようとする。

人生というゲームを攻略するために、あらゆる手を尽くすんだ……。

あれ?
でも何かおかしくない?

人生ってゲームなの?

何かを目指して挑戦し、クリアし続ける。

それを人生と言うなら、人生はゲームと一緒になってしまうけど。
本当にそうなのかな?

それとも
今まであまりに夢中になりすぎて気が付かなかっただけで、
私たち自身がいつの間にか人生をゲームに仕立て上げちゃっていたのかな?

勝ち負けにこだわり、
損得で勘定し、
達成と不達成で評価をする。

人生をそんな卑小なものにしたのはいったい誰なの?

私たちが知らないだけで、
いや、知ろうとしないだけで、
攻略しない生き方だってあるんじゃないのかな?

結論づけない、達成しない幸せだってあるんじゃないのかな?


……なんだか疑問符ばかりになってしまったけど。

でも私は思うんだ。

何でも簡単に決めつけて、突っ走る生き方よりも、
疑問符だらけの生き方の方が、
はるかに人生の本質に近いんじゃないかって。

”!” よりも "?” の世界の方が
ずっと優しくて、実り豊かな世界なんじゃないかって。

そんな気がしているんだ。


※タイトルならびに本文内容は、2017年9月10日に掲載したものです。

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by m-kumatta | 2018-10-14 20:29 | 過去もの | Comments(4)


自分のことをいい人だって、
信じてやまない愚か者。

自分のことをひどい奴だと、
先に言っちゃう卑怯者。

理想の自分になろうと言って、
その目をふさぐ臆病者。


良いとか悪いとかすぐに決めつけず、
変えるとか変えないとかで簡単にごまかさない。

美しさも醜さも、
賢さも愚かさも。

自分の全てを逃げずに見つめる、
そんな人に私はなりたい。


※タイトルならびに本文内容は、2017年8月14日に掲載したものです。

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by m-kumatta | 2018-09-17 13:55 | 過去もの | Comments(9)

自然の発露。

ほんとはただそれだけなのに。

誰かがいいねと言ってくれると、
今度はそれに応えたくなる。

私は触媒。

ほんとはただそれだけなのに。

褒められたことが
あんまり気持ちがよかったから、
今度は自分で生み出そうとしてしまう。

一度手にした賞賛を、
二度とは手放したくないからね。

うん、うん、うん、うん、唸りながら、
何とか期待に応えようとしてしまう。

ほんとは期待なんて、
気のせいにすぎないのに、
一生懸命応えようとしてしまう。

だけどそんな私には、
もはや自然の発露はやってこない。

不自然な私に自然の発露は、
ついぞ訪れることはない。

だってそうじゃないか。

賞賛を得たいと思った瞬間に、
私の心はぱさぱさぱさと、
乾いてしまっていたのだから。


※タイトルならびに本文内容は、2018年1月3日に掲載したものです。
 自戒を込めて、再掲載させていただきました。

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by m-kumatta | 2018-08-15 16:51 | 過去もの | Comments(3)