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ほぼ満月が好き。

満月よりも、
ほぼ満月が好き。

欠けてるとこを、
君と想像できるから。


ほぼ満点が好き。

満点よりも、
ほぼ満点が好き。

違ったとこを、
君と一緒に学べるから。


ほぼ満足が好き。

満足よりも、
ほぼ満足が好き。

足りないとこを、
君と補い合えるから。


ほぼ完成が好き。

完成よりも、
ほぼ完成が好き。

あと一歩のワクワクを、
君と共有できるから。


by m-kumatta | 2018-07-30 07:48 | つぶやき | Comments(4)

※2014年ノートより。
久々の過去ものです。

当時思い悩むことがあって、
その際にいろいろと考えたことを、
箇条書きに近い形でまとめました。

かなりの長文になります。

お時間のある際に読んでいただけると幸いです。


『あの人はなぜあんなにも我が強いのか?』


あなたは会ったことがないだろうか?


どう考えてもおかしいと思うような言動や行動を繰り返す人に。


私はある。


だからといって。


その人を一方的に悪だと決めつけるのはフェアではないと思うので、

どうして私がそう感じるのかをここで考察してみたいと思う。


まず。


どうしてその人は(私から見て)そんなにも愚かな言動や行動をするのだろうか?


多くの人から批判されるような、

どう考えても常識のない言動・行動をするのだろうか?


不思議なことに。


当の本人はそれが愚かだとは、おかしいとは一切思ってないようだ。


だから余計に腹立たしいし、

場合によっては自らの行動や言動に対して得意満面でいたりする。


なぜだろう………?


それは、その人の脳は、そうすることにこそ“正当性”があると認識しているからだ。


正当性とは?


そうすることが私の目的を満たしてくれると信じて疑わない、強烈な“思い込み”のことだ。


そう。


その強烈な思い込みがあることによって、

(その言動・行動が)周りにどう思われているかはまったく見えなくなってしまい、

その人はきっとそれをせずにはいられなくなってしまうのだ。


具体的には、

・とにかく言いたい、そうしたいという思いに衝き動かされている(操られた)状態。

・言うこと、することを我慢できない状態。

・自分で自分を冷静に(客観的に)見つめられない状態 だと推察される。


では、なぜそんな状態になってしまうのか?


私たちを衝き動かす“強い目的”の正体とはなんだろうか?


おおよそ人が(利己的に)行為するとき、その裏に隠されている真意とは……

『(この危険にあふれた世界で)自らの安全を“常に”確保したい』

という思いではなかろうか?


この強烈な思いが、人対人(人間関係)のシチュエーションにおいては、

たびたび“過剰な自己主張”として発揮される。


なぜなら最も大切なのは、

“自らの必要性”を相手に(世の中に)認めさせることなのだから。


自らが相手にとって(世の中にとって)の“重要人物”になってしまえば、

決して虐げられることも、はじき出されることも、抹殺されることもない。


よって、私の安全は確保されるという寸法である。


ここで、ちょっと辛いけれど、直視しなくてはいけない事実がある。


上記のような思いは“頭のおかしい誰か”に特有な現象なのではなく、

間違いなく私自身の中にも確実に存在するということを、私たちは認めなくてはならない。


誰かにとって、世界にとって、“重要な人物”になること。 


これは間違いなく私(自我)にとっての“最重要課題”だ。


ただ違うのは、その“表現の仕方”だけなのだ。


自分のすごさ、素晴らしさを声高に主張して、ごり押しすること。

これを『左はじ』とするなら、


自分を極力出さずに、相手に心地よくなってもらい、

逆説的ではあるが、結果として欠かせない人物となること。

これは『右はじ』と言えるだろう。


目的はどちらも一緒。

“自らの安全”を、居場所を確保することなのだ。


たいていの人はその狭間で揺れ動いている。


時と場合によって、

様々な立ち位置を“臨機応変(日和見的?)”にとっている。


ただ、中にはそのやり方が極端に偏っている人たちがいる。


そして、自分の価値観、すなわち“自らの立ち回り方”と大きく外れた人や物事に、

私たちは強く反応(嫌悪や怒り、逆に憧れであったり……)してしまうのだ。


それでは。


誰ひとり例外なく自我がある以上、

こうした軋轢、衝突は甘んじて受け入れなくてはいけない、仕方のないことなのか?


もう一度私たちの行為に隠された真意を確認してみよう。


私(自我)を起点とした行為の根っこにあるのは、

“私はいつでも安全を確保したい。いつでも安心していたい。”という強い欲求だ。


それは逆を返せば。

“この世界はとても怖いところだ。

自分は常に危険にさらさられていて、うかうかしていると抹殺されてしまう”

と言っているのと同じことだ。


この世界は危ないところ……危ないところ……。


そう。

ここに、『逆転の種』が転がっている。


ここで、危ないを → 安全に 置き換えてみる。

『この世界は完璧な安全と安心に満ち溢れている』


さて、どうだろうか?


そうなったとき、あなたに何か言うべきこと、やるべきことはあるだろうか?


そうなのだ。


すでに保証されている安心・安全に対しては、

過度な主張も、狡猾な策略もまったく意味を成さなくなるのだ。


むしろ、“何かをする”ことは、

今ある安全を逆に破壊してしまう危険性を高めることになってしまう。


そう。

私(自我)の行為が事態を悪化させるとわかってしまったら。


そのとき人は沈黙する……。


いや、沈黙するしかなくなる……。


行為の消失。


それは(行為に対する)反応(怒り、嫌悪等)の消失でもある。

それこそが奇跡と呼ばれる転換……なのかもしれない。


では、どうすれば“転換”が起こるのか?


今の私にはその『方法』はわからない。


だがどんな人でも、深い深い安心感に満たされたなら。

すぐにでも“静かになる”のは紛れもない事実であると、私はそう思うのだ

※文章も粗く、終始断定口調なのも気になりますが。
 今の自分にもなるほどと思えるものでしたので、
 原文ままで掲載させていただきました。

 最後までお付き合いいただいた皆様、
 貴重なお時間を割いていただき、誠にありがとうございました。





by m-kumatta | 2018-07-27 23:29 | 思索 | Comments(5)

例えば昨日の私が。

今、目の前にいるあなたの手を、
そっと握ってあげられますか?


例えば明日の私が。

今、目の前にいるあなたの涙を、
優しく拭ってあげられますか?


そうなんです。


今、目の前にいるあなたと私。

今、ここにいる二人だけが、
幸せだよねと一緒に笑い合えるのです。


そんなすごく当たり前のこと。

あなたは忘れてないですか?


by m-kumatta | 2018-07-25 20:26 | つぶやき | Comments(0)

今の私は(仮)だから。
本気で悲しまなくてもいい、けど。

今の私は(仮)だから。
本気で喜ぶこともない。


今の私は(仮)だから。
本気で落ち込まなくてもいい、けど。

今の私は(仮)だから。
本気で笑うこともない。


今の私は(仮)だから。
本気で傷つかなくてもいい、けど。

今の私は(仮)だから。
本気で取り組むこともない。


今の私は(仮)だから。
本気で泣いたりしなくていい、けど。

今の私は(仮)だから。
本気で生きることもない。


今の私は(仮)だから。
本気で向き合わなくてもいい、けど。

今の私は(仮)だから。
本気で感謝もできやしない。


……。

……。

……なあ、私よ、仮の私よ。

いつか、いつかとお前はいつもそう言うが。

いい加減、
何かがおかしいとは本当に思わないのか?


by m-kumatta | 2018-07-22 08:35 | つぶやき | Comments(4)

棚上げバンザイ!

「二十人に対して望ましい行動を指示してやるのは簡単だが、
   その二十人のひとりとして、自分自身の教えに従うのは難しい」
            ― 道は開ける(D・カーネギー著)本文より引用 ―


だからと言って。

自分にできないことは、言ってはいけないと言うのなら。

世界はどれほど窮屈になってしまうだろう?


従うのか、従わないのか。
信じるのか、信じないのか。

いつだってそれは私次第。


だから自分のことを棚に上げちゃう誰かがいても、
笑って許してあげましょう……とは言わないけれど。

せめて鬼の首を取ったように、揚げ足を取るのだけは、
私たちはこの際やめにしませんか?

それがお互いのためだと思うのです。


by m-kumatta | 2018-07-19 23:03 | つぶやき | Comments(4)

※お知らせです※

※お知らせです※

haruさんが、
私の書いた詩『できるあなたも好きだけど。お茶目なあなたはもっと好き。』
を朗読してくださいました!

皆様にも聞いていただけたら、とても嬉しいです。


この詩は、
mariさんのブログ:”ワレココニアリ。”の中の「100日行」という記事をモチーフに、
書かせていただいたものです。

mariさんのブログ原作はこちら → ワレココニアリ。より「100日行」

この記事を読ませていただいたとき、
一念発起して奮起(悪戦苦闘?)するmariさんと、その様子をやさしい笑顔で眺めている、
相方さん(mariさんはそう呼んでいます♪)の姿という素敵な光景が私の目に浮かんできました。

そこで、それをぜひとも詩にしてみたい!
そう思い立ち、mariさんに唐突に (^^ゞ お願いをし、
この詩が出来上がりました♪


そして、そして。
今度は、haruさんがそれを朗読作品にしてくれるという。

なんか、”世界に広げよう、友達のワ!”みたいな? 感じです。

そしてなにより、私の拙い詩をいつも読んでくださる皆様がいて……。

こうやってたくさんの方々と繋がれて、
本当に本当にこのブログを始めてよかったなあと、
私はつくづくそう思うのです。


広間空

by m-kumatta | 2018-07-17 21:29 | お知らせ | Comments(2)

ねえ、どうして探しちゃうんだろう?

嬉しいのは、今なのに。

ねえ、どうして探しちゃうんだろう?

幸せなのは、今なのに。

私たちに必要なのは、
たぶんきっと、探さない勇気。

必死に理由を、法則を。
何とか見出そうとするその姿は。

まるで世界で一番美しいと、
いつでもそう言われたい、
おとぎ話の女王様、みたいだ。



by m-kumatta | 2018-07-16 18:36 | つぶやき | Comments(3)

大事なことほど忘れてしまうと、君はそう嘆くけど。

それでもいいよ。

君が忘れてしまうなら、
僕が代わりに覚えておけばいいだけだから。

それでもいいよ。

いろいろちゃんとやり切れないのは、
いろいろちゃんとやろうとしてきた証だから。

それでもいいよ。

気を抜くとすぐに忘れてしまうのは、
気を抜ける相方だって認めてもらえた証だから。

それでもいいよ。

なにより時々思い出したように何かを始める、
君ってとてもおもしろいから。


僕はね、思うんだ。

何かを続けようとすることは、
何かを続けても、続けなくても、
きちんとちゃんと、繋がってることがある。

それに気がつくためなんだって。


だからね。
忘れても、続かなくても、いいんだよ。


不確かで気まぐれなお互いを、
それでも愛せる僕たちは、
とっても幸せな僕たちなんだと。

僕はそう思っているから。


※タイトルならびに本文内容は、
 mariさんのブログ:ワレココニアリ。より『100日行』の記事をモチーフにさせていただきました。



 原作はこちらです。

 日常の風景の中にあるちょっとしたおかしみと気づきを、絶妙なバランスで描き出すmariさんのブログは、
 読んでいてとても心地がいいです。

 mariさん。
 このたびは、記事を題材に詩を書かせていただき、誠にありがとうございました。

by m-kumatta | 2018-07-14 10:22 | つぶやき | Comments(12)

※お知らせです※

※お知らせです※

haruさんが、
私の書いた詩『それは今、じゃない。』
を朗読してくださいました!

皆様にも聞いていただけたら、とても嬉しいです。


この詩は、私なりにいろいろな思いを込めて書いた詩です。


全ての人にその通りだとは言ってもらえないかもしれません。
それでもやっぱり、素直な自分の気持ちを残しておきたい。
そう思って一気に書き上げました。

たとえその形が反発であったとしても。
皆様が、皆様それぞれの思いを醸成するきっかけとなれたら幸いです。

広間空


by m-kumatta | 2018-07-13 09:54 | お知らせ | Comments(2)

例えば。

あなたはこれこれ、こういう人ですって、
用紙一枚で説明されてしまったら。

あなたはきっと怒るだろう。

私はそんなに単純ではないと、
あなたはきっと怒るだろう。

でもね。

あなたが自分を探すとき、
あなたはたぶん同じことしてる。

私はこれこれ、こういう人ですって、
先に決めてしまおうとする。

だってそれが簡単だから。

ああ言えば、こう。
こう言えば、そう。

パターン化しちゃえば楽だから。

間違いだって減りそうだしね。

でも、どうだい?

もしもそれがそもそも、
最初っから間違っていたのだとすれば。

あなたは一体どうするのだろう?


by m-kumatta | 2018-07-11 09:49 | つぶやき | Comments(0)