人気ブログランキング |

同期現象って、
徐々に起こるのではなくて。

ばらばらだったものが、

ある時突然、
いきなり、ぴったり合わさるんだって。

私たちもこの世界の生き物だから、
きっと同じ。

一見、関係のない物事が、
或る日突然かみ合って、
私たちの人生を形作るんじゃないかって。

そんなことを思ったよ。


※タイトルならびに本文内容は、2017年9月30日に掲載したものです。

by m-kumatta | 2018-12-28 09:45 | 過去もの | Comments(4)

今日だけは。
足りていることを数えてみようか。

私たちは放っておけば、
足りないことばかりを探してしまうから。

今日だけは。
足りていることを数えてみようか。

別に今日が特別だから、
と言っているわけじゃない。

だけど。

日々の暮らしに、
時々お祭りごとがあるように。

心にだっていつもと違うこと、
思ってみる日があってもいいと思うんだ。

別に今日じゃなくてもいい。

だけど。

あたりまえにそこにある、
あたりまえではないことに。

思いを馳せてみることも、
時にはいいと思うんだ。



※もぐらとはるのクリスマスパーティに参加しています。


いつも私の詩を朗読してくださる、haruさんの主催するクリスマスパーティです。
私だけでなく、たくさんの方々が作品を持ち寄る楽しいパーティとなっております。
ぜひお訪ねいただけると嬉しいです。

それでは皆様、善きクリスマスをお過ごしください。


広間空


by m-kumatta | 2018-12-24 00:00 | つぶやき | Comments(8)

お城にいれば安全だけれど、
私はいつでも不満でいっぱい。

お外を行くのは不安だけれど、
素敵な出会いもいっぱいだ。

不満と不安。

私はどちらを選ぶだろう?



※タイトルならびに本文内容は、2017年9月30日に掲載したものです。



by m-kumatta | 2018-12-20 23:11 | 過去もの | Comments(8)

ねえ、知ってた?

楽しませてもらうのではなく、
楽しむんだって。


ねえ、知ってた?

幸せにしてもらうのではなく、
幸せになるんだって。


ねえ、知ってた?

笑わせてもらうのではなく、
笑うんだって。


ねえ、知ってた?

してもらうのではなく、
してあげるのではなく、
ただ、するんだって。


ねえ、あなたはもう知っていた?



お知らせです※
haruさんがこの詩を、朗読してくれました♪

皆様にも聴いていただけると、嬉しいです(*^^*)


by m-kumatta | 2018-12-17 18:30 | つぶやき | Comments(8)

いろんな好きがあっていい。
大きな私はそう言うけれど。


わたしだけを見てほしい。
小さな私は訴える。


大きな私はおおらかだけど。
わたしが何だかぼやけてしまう。


小さな私はわかりやすいけど。
わたしがあまりに濃すぎちゃう。


ねえ、誰か。
ちょうどいい私を知りませんか?


by m-kumatta | 2018-12-14 20:04 | つぶやき | Comments(6)

もっと楽にしたらいいのに。

もっと自由に生きたらいいのに。


あなたは信念があるから生きられると言うけれど、
それはきっとあなたがそれしか知らないから。

強い信念はあなたの生を支えてくれてるように見えるけど、
強くて固いものほど実は折れやすかったりするんだよ。

本当に折れない心というのは、
あなたが思うよりずっとしなやかで柔軟なものなんだ。


って、そんなふうに私に思わせてくれるのは、あなた。

あなたがここにいてくれるから、
私はまたひとつ私の思いを知ることができるのです。



※タイトルならびに本文内容は、2017年8月9日に掲載したものです。

by m-kumatta | 2018-12-12 19:15 | 過去もの | Comments(0)

自分で言うのもなんだけど。

今の私は結構、そこそこ幸せで。

でもそれは今の私だから、というわけではなく。

例えば今の私が、まったく違う私だったとしても。

結構そこそこ幸せだなって。
私はやっぱりおんなじこと言ってるような気がして。

そう考えると。

私が何を選ぶのかなんて、
実はそんなにたいしたことでもないのかな、なんて思ったりもして。

世の中にはそんなのつまらないと言う人も、
きっとたくさんいるのだろうけど。

例えば私なんかは。

そう言われると肩の荷が下りたような気がして。

なんだかかえって、
前向きに生きられそうな、そんな気がしてくるんだ。


by m-kumatta | 2018-12-09 09:47 | つぶやき | Comments(4)

完璧なものは。
畏れられこそすれ、
決して愛されはしないって。

私たちは、
よくよく知っているはずなのに。


どうしてだろう?

私は今、完璧にやらなきゃと、
こんなにも自分を追い込んでいる。


どうしてだろう?

私は今、完璧にできてないことに、
こんなにも苦しくなっている。


by m-kumatta | 2018-12-06 09:14 | つぶやき | Comments(0)

※お知らせです※

※お知らせです※

haruさんが、
私の書いた詩『君の世界を僕に教えて』
を朗読してくださいました!

皆様にも聞いていただけたら、とても嬉しいです。

haruさんの優しい語り掛けが、心地よく心に響いてきます。
朗読と共に流れる映像もとても素敵です。

haruさん、いつもありがとうございます。


広間空

by m-kumatta | 2018-12-05 10:07 | お知らせ | Comments(2)

※今回は長文になります。お時間のある際に読んでもらえると幸いです。

 尚、本文は2015年5月に書いたものです。

 当時、私はこんなことを考えてたみたいです。


~理解すること。響き合うこと。~

・私たちは『相手を理解する』ことができれば、平和が訪れる。 そう信じている。


・果たしてそれは本当だろうか?


・『相手を理解する』ことを定義すると。

『自身の知識や経験に照らし、相手の行為や在り方を“私”が納得できる形で把握する』

ということになるだろう。


・ということは。

『理解』がその人の持つ常識や解釈の範囲内を逸脱することは、

決してありえないということになる。

仮に逸脱してしまえば、それは『理解ができない』ということになる。


・要するに『相手を理解する』とは、一見相手を思いやっているようにみえて、

 その実、相手を自身の枠内に当てはめてしまおうという、

 ある意味、自己都合から生じている行為なのだ。


・相手を『理解』によって定義できれば、何かあっても対処ができるし、

 場合によっては、相手をコントロールすることもできる。

そうすれば私は不用意に傷つかずに済む。


・そう。『相手を理解したい』という欲求の本質は自己防衛に他ならないのだ。


・その証拠に。 人は理解できないものを異常に嫌悪する。

 なぜなら未知のものは、私の安全を脅かす可能性がかなり高いと感じられるからである。


・さて。

 そんな自己防衛から発される、

『相手を理解しようとする』行為が、本当に平和をもたらすだろうか?


・場合によっては。

 お互いがお互いに『理解』というレッテルを貼り付け合い、

 それ以上は深入りをしないという、いわゆる冷戦状態のような、

消極的な平和が達成されることはあるかもしれない。


・しかしながら、こうした消極的平和状態は、

 お互いの許容範囲(解釈可能な範囲)に依存しているという性質上、

状況が変わって、どちらかが相手を『理解不能』と判断した途端、

あっという間に機能不全に陥ってしまうという危険性をはらんでいる。


・そう。『理解』に根差した対象の容認は、

何らかのきっかけで容易に『理解不能』という嫌悪に転じてしまうのである。


・『平和を達成するため』に用いた、『相手とわかり合おう』とする行為が、

結果的に『憎しみ』という平和とは真逆のものを連れてきている……

 まずはこの矛盾にはっきりと気づかねばならない。


・では平和を達成するために。 私たちには、なすすべがないのか?

 

・いや。 私の、あなたの、そして世界の平和を達成するために。

 あなたにはとても大きな使命がある。


・あなたに課されたとてもとても大きな使命。

それは『共に響き合う』ということである。


・『響き合うこと』

それは『理解すること』といったい何が違うのか?


・『理解する』というのは。

前述の通り、相手を自身の枠内に押し込める行為である。


・よって、お互いが『理解し、わかり合う』ためには。

 多少なりとも双方の特性を『殺し合う』ことが必要だ。

 いわゆる譲り合い、擦り合わせ、調整といったものである。


・一方で。

『響き合う』のは、双方の特性を『生かし合う』ことに他ならない。


・お互いに物足りない所は補い、良い所はさらに増幅し、そうやって貢献し合う。

『響き合い』の本質はその相乗効果にある。


・大切なのは、『私はあなたに勝ってはいけないし、負けてもいけない』ということ。

 そこに、共鳴の鍵はある。


・音楽に例えるなら。

 あなたと私の関わり合いは、デュエット・アンサンブルである。


・より良いアンサンブルを奏でるためには。

 お互いが自らのパート(受け持ち)をまっとうすることが絶対条件である。


・そうすることで共鳴が起こり、

それぞれが単独では成しえなかった音楽が創造される。


・『理解し合う』ことが、二つの音を調整して、一つの音にまとめようとすることなら、

『響き合う』ことは、二つの音を重ねて、新たな音楽を創りだすことを目指すものだ。

 

・よって、『響き合い』の世界では。

 相手を高圧的に抑えつけてはいけないのと同様に、

 相手ばかりを立てる『自己犠牲』も絶対にしてはいけないのである。


・なぜなら。

 あなたが自らを表現しないことは、アンサンブルの崩壊を招き、

 自分の音はおろか、相手の音まで『殺してしまう』ことになるからである。

 あなたが犯した『表現の放棄』はもはや『自己責任』の範疇に留まらないのだ。


・これは考えようによっては、『理解し合う』ことよりもはるかに高い壁である。


・ただ、もしもあなたがその高い壁を乗り越えることができたなら。

 

・その時には『あなたの理解をはるかに超えた』展開が巻き起こることは間違いない。


・あなたと私。 それぞれがパートをまっとうしアンサンブルを形成する。

 これだけでも素晴らしい『響き』だが、その音楽はそこだけに留まらない。


・あなたと私が共鳴して創り上げた音楽が、

 今度はより大きなコミュニティで演奏される音楽のパートとなるのである。


・そうやってあなたから始まった音は重層的に重なり合い、

やがて『世界』という壮大な協奏曲を形成する。


・だから。

あなたに課された使命はとても大きく、その責任は重大だ。


・だが、心配しなくていい。

 あなたがすべきことはとてもシンプルだ。


・あなたがすべきこと。

 それは、目の前の物・事・人と『共に響き合おう』と意図して、

 世界を恐れず、自身が持つ音を『表現する』、ほんの少しの勇気を持つこと。

 ただそれだけだ。


・あとはそれこそ『自動的』に。

世界というオーケストラの素晴らしい演奏が展開されることになる。


・そしてあなたはそれを存分に味わい、楽しむだろう。


・さあ、世界と共に。 

響き合おう。



※例えば。理解できるもの、理解できる人、としか繋がることができないのなら。
 それは、とてももったいないことではないでしょうか。
 
 考えてみれば、子供の頃は自分とは趣味や嗜好、考え方が違う人たちが身近にいることが当たり前で。
 それによる衝突もたくさんあったりするのだけれど、それを通して自らの世界がとても大きく広がっていく。
 そんなことも多々ありました。

 それが大人になって、とにかく周囲と上手くやっていこうという想いが強くなるにつれ、
 いつの間にか自らの理解の範囲内でしか社会と、人と、繋がることができなくなってきて……。

 だけど私たちは。共に響き合うことを意識することで、あの子供の頃のような雑多だけれど、とてもワクワクするような。
 理解できないからこそ、より深く繋がれるような。あの感覚に立ち戻ることができるのではないか?
 私はそんな風に思うのです。

 そして2018年の今。
 私はあの頃よりも、世界と響き合うことが果たしてできているだろうか?
 改めてそんなことを思うのです。

 広間空

by m-kumatta | 2018-12-02 17:54 | 過去もの | Comments(10)